靖国参拝

F-I2005-08-14

語りの透明性、という批評用語は誰の造語だったか?すでにこの作品でイーストウッドはそれを手に入れている。突出する画面や瞬間はないのに、映画でしかない時間の持続が発生する。二時間を超える、題材の割の長尺もいささかの退屈さも、演出上積極的に選びとられている。
家族を失った男が復讐と逃亡の過程で家族のような仲間 - 疑似家族 - を手に入れる話。そこはもっとウエットに語っても良くなりそうだが。


明日は仕事が入っているのだが、たまたま今日は一切の仕事がオフになった。
一日前倒しとなってしまったが、ずっと一度行こうと思っていた靖国参拝に行ってきた。
(写真は僕ではなく、40代くらいの男性二人のコスプレ風参拝。旧日本軍の軍服と銃剣。)