ポレポレの回数券2枚の期限が今日。

  • ダイマグラばあちゃん』04 澄川嘉彦

今日の最後から2本目なので何の予備知識もなく跳び込み、朝からの移動の疲れなんぞで前半居眠り。目を覚ましてから後悔。
山奥の殆ど自給自足の村(日本で一番最後、1988年に電気が通ったという)で夫に先立たれて一人暮らしするおばあちゃんの「労働=農作業」「収穫」「その作物を使う調理」「食事」という日々の行為が、季節ごとに農作物を変えながら映し取られているドキュメンタリー。丹念に記録されたそのしつこい程の繰り返しが、人間がある循環の一部であり、それが飽きもせず反復し継続しているという真理をゆったりと伝えてくる。知的活動でも闘争でもセックスでもなく、飯を食う準備をして食って便を出して寝る、ということが人間存在のほとんどなのだ。
(我々の食事(の準備)は、歴史上特殊な程、見知らぬ他人に任せる度合いが大きくなっている。)
(糞尿を通したドキュメンタリーは、スカトロAVで作られているだろうか?誰かがやるだろう。)
ラスト近くの入院していたばあちゃんが一時帰宅するシークエンスはばっさり切った方が良かった。そこで焦点が世界とばあちゃんの「関係」から「ばあちゃん」個人に移項してしまう。焦点がぼやけてしまった。エピソードとしても弱い。
生活の反復の果てに、ナレーションか字幕でポンと死を伝えていたらどうだろう。そこで立ち上がる作品総体としての強さは、一時帰宅のシーンと同等かそれ以上に死者への哀惜を含んでいたのではないか。

当分B級邦画市場では蒼井そらブームが続くだろう。
十二分に可愛いし、巨乳でその他のスタイルも悪くなく、派手な絡みもOK。(てことは、つまり集客力がある。)
しかも、今日分かったのだが、ナチュラリズムの芝居がなんでこんなにと驚く程上手い。
このナチュラリズムが上手いというのは何が原因なのだろう?本人のルックスに対する自信は一つの原因にはなりそうだが、それだけでは説明が着かない。逆にTV的な「型」のある分かり易い演技は下手だったりするのだろうか。そこまでやれれば市場はさらに広がる。