相変わらず気がつくと論理について考えている。
漢学に論理学にあたる学問があったかどうかは知らないが、江戸時代までに一定の合理的思考が日本人の間に定着していたのは間違いない。そして、思想や科学分野での発展を考えれば、西洋流の合理思考は遅くとも明治末までにはあらかた入ってきたと見て良いだろう。
それなのになぜ現状の日本人の論理レベルはこんなに低いままなのか?
そこには日本人論として掘り下げるべきテーマがあるのだろうか。それとも問題は人類共通で、人はやはり感情に捕われ過ぎていて、論理性が感情によって頻繁に破壊されるために、共通基盤として論理能力が根付いてこなかったのだろうか。



東京西部のとある駅。私鉄とJRが交錯していて、そのせいかチェーンと個人経営が混ざった商店街が発展している。日本の街らしく細く歪んで起伏のある路地が入り組んでいる。都心では街の端は見えないものだが、ここでは低い山並みが目に見える境界を作っていて、そこまでで世界が完結しまとまっているという幻想が、幻想と分かっているのに安心感を与えてくれる。
新宿まで20分ちょっとだという。それでも、相変わらず強迫的な田舎嫌いなので、住みたいとは思わないのだよなあ。