自信が陥穽になる

とは良くいわれる。諺にすれば「勝って兜の緒を締めよ」「初心忘るべからず」といった表現。
今ふと、なぜ自信で人が失敗するかのメカニズムに思いつく事があった。


自信を持つとその自信に意識 ー ここでは「感覚」「注意力」といったニュアンスでとらえてもらいたい ー を奪われてしまう。
人間の失敗の多くは、相手や周囲の人、物ならば対象物や場を感じていないことから起こる。意識(「感覚」「注意力」)を外界に向けて、その認識が正確であるほど行為の成功確率は高まる。
しかし、自信はたとえ外界のどんな分野についてのものでも内界に存在するものなので、自信を持っている状態、というか自信を持っている「最中」には、意識(「感覚」「注意力」)は内界に向けられることになる。


一方で、自信ゆえに心に余裕が生じるメリットもよく言われる。
この二つの一見矛盾する戒めの折衷は実は簡単で、対象に対峙した瞬間はひたすら(自信などどうでもよくなるくらいに)対象に意識を向ければよいのだ。
何かを無くそう、という意識はしばしばその何かへの執着を呼び覚ますのでよろしくない。自信を忘れよう、自信を無くそう、などという意識はやはり内界に意識を向けてしまう。無くそうとして余計意識するという悪循環を生む。
だからひたすら感覚を外に向けていく。


具体的には…見て、聞く。時に、臭って、触って、味わう。
生活していれば常に五感も生きているというのは錯覚である。人はしばしば感覚を遮断してしまう。
桜井章一(20年無敗の雀鬼)は部屋に入るとまずその部屋にいる人の人数を男女ごとに頭の中で数えるという。聞いた話でまだウラが取れていないのだが、納得出来る話である。思い込みに流れやすい認識的判断を下手に動かす前に、まずそっけなく具体的な事物を知覚する事から始められる。


自信はオフの時間に十分味わい、無意識に浸透させておくのが正しい使い方。