『冷たい熱帯魚』11 園子温

<ネタバレ有り>
役者さんやタレント、「出る」側の人は憧れる作品だろう。セックスも金も生きる目的でなく生き抜くための手段、ただの過程として扱うだけの超越的な殺人者達。しかし表面的にも本質的にも明るくエネルギッシュ。いかにも演じてて楽しそうではないか?実際メインの役者さん達がみんな異様な輝きを放っている。
総体としては傑作と呼びたいけれど、どうにも気になったのは、気の小さい主人公(吹越満)が殺人鬼(でんでん)に片棒を担がされていく過程で機会がいくらもあるのに逃げ出そうとしないところ。そのせいで彼の苦悩や恐怖も、ラストの暴走も、裏付けを欠いた表面的な刺激にとどまった。同じく殺人鬼にセックスで籠絡される主人公の妻(神楽坂恵)は「逃げようも無く巻き込まれる」過程が納得出来る形で描写されていたのだから、主人公側のその描写の欠落は意図的なものだろう。だとすれば、でんでん演じる殺人鬼の父性の魅力に絡めとられたという解釈が一番妥当なのだろうが、それでは見る側の一般教養に頼り過ぎではないか。
復讐するは我にあり』を思い出したのだが、やはり園子温はスタッフに見せていたという。しかし、ほぼ全員が血塗れで死んで、ひとり生き残った娘すらも父親のいまわの際を見て低劣な罵声と嘲笑を浴びせるという世界観は子供っぽく、『復讐するは我にあり』よりむしろ古くさい。園子温の世界に対する憎悪には熱い共感を禁じえないのだが、ここに表現されているニヒリズムには、いや世界は良くも悪くももっと複雑だ、と反論したくなる。