NHK芸人、そして折伏

アルトマンという監督は未だによく分からないが、面白い。世界を馬鹿にしているのだろう。

数年前のベジャールの来日公演を見終えた帰り道、「NHK芸人」というカテゴライズを思いついた。これみよがしに危険で斬新なことをやっている振りをひけらかすが、安全に享受される枠内でしか物を作っていない創作者を指す。
日本では蜷川幸雄を思いだすと良い。「タレント」「若手人気俳優」をキャスティングするあたりの手付きがまさに「NHK」的。ワハハ本舗の笑いにも、ニュアンスの近いものがある。そしてベジャール
かつての僕の印象を一時的なものとして覆してくれるかと期待したこの映画、ベジャールの虚仮おどしぶりを再確認して終った。弛緩した振り付け師を撮った映像もまた、NHKの昼の時間帯の放映がふさわしい弛緩した作品だった。
次から次へと悪口が浮かんできたが、途中でワイズマンに備えて眠っておく方が生産的だと気付き、目を閉じた。
メジャーとか世界とか、ちょろい。
(なお、NHKスペシャルは嫌いではありません。個々の作品と典型は別であり、NHKにも良い番組はあります。)

街の風景やら自動車の通行やらがやたら挿入される意味を考えていたらある人に「つなぎでしょ」とあっさり片付けられた。その通りただの「つなぎ」だという確証を、ようやく持った。実は相当リズムに気をつけて編集しているようだ。冒頭、振り付け師のダメ出しの長回しで館内のあちこちで姿勢を変える音が起こる。退出者が出るだろうと予想していたら、見方が分ったようでみんなで3時間完走。


某氏との食事に呼ばれて氏の家に行ったら、予告もなく見知らぬ男が2人やってきて、3人掛かりで折伏を受けることとなった。
以下、話していて気付いた事など。


「○○」と唱える事と唱えた当人に幸福が発生する事の因果関係の説明は出来ない。それは「やってみて初めてわかる/やって実感しなければわからない」
幸福が訪れなかった場合「本気ではなかったから/本気が足りないから」という理由がすでに準備されている。(「本気」は計測不能。願望が叶っていない人間は本来それだけで気弱になっているので、「本気でない」と決めつけられれば反論は出来ない。)
「悩みからの開放」「願望の叶う生活」といった誰もが求めるポイント、また仏教の歴史・普遍性・信者の数・因果応報などに関する説明は流暢で力が入り長くなりがち。
とにかく、説得される側が少しでも妥協したところが議論の切り上げ時。まずは廂から。
現れた2人には、「仕事」に似た義務感があった。切り上げ時が訪れて開放されたのを、喜んでいた。ちなみに昔僕を折伏しようとした人々は内発的な意志で昂揚していたのだが。


気にかけてくれる人がいるのはありがたいことだ。