犬、犬、犬。

大恐慌時代、言い換えると大都市でギャングが隆盛を極める時代、アメリカ山間の、住人が20人も居ない小さな村に、犯罪に絡んでいるらしい謎の美女が流れてくる。
最初は訝しがる村びとも、家庭ごとに奉仕の対象を見つけだし毎日実行する女を徐々に受け入れて行く。しかし、世界が他者に対して準備している結論は実は一つしかない。共同体のアレゴリーとして、この村はある。
3時間の映画で一瞬たりともたるむことがないのにまず驚く。
ニコール・キッドマンの無表情。徹底してこだわり抜いたというレベルではないのだが、奴隷化と凌辱という悲惨の極においてもまるで子供の進路に悩む母親程度の苦悩しか、彼女の顔には浮かばない。しかし、ここで雄弁な表情は不要である。役者が映画に参加するのはここまでで十分なのだ。
奇跡の海』『イディオッツ』とカメラオペレーション(今回は監督自身がステディカム付けてオペレーションもしている)の根本的な思想が理解出来ないのが口惜しい。ここには何かあるのだが言葉に出来ない。

よくこんなもの作った。
撮影スタジオの脇に設えられた教会の告戒室に似た小部屋を「free of speech(言論の自由)」と名付けてビデオカメラを壁の穴にセット。撮影中手の空いた俳優が思いを喋りにくる。
俳優達は実に直截的に愚痴を喋り、その多くは監督トリアーへの批判である。
一方監督はといえば家に帰る車の中で映画作りの日々の不安について語る。
仕上がりと比較すると分かる、作品の素晴らしさと創作過程に感じる快楽は比例するとは限らないのだ。
そういえばレナート・ベルタゴダールと『勝手に逃げろ/人生』を撮った時にカメラマン同志やカメラマンと役者を対立させて何かを引き出そうとするゴダールといて、殆ど面白い事が無かったと語っていた。


ブラジル人女性監督、F監督と来週のライブ撮影の相談。燃えてきた。


日々、ハーブティー。健康なり。