何度も眠る

そしてやはり2時間で目が醒めたのだった。
すっきりしないのだが、元気が出ないのはまあ普通。
雑事。
ファミレスに出かけようと髭まで剃るが、微妙に体が疲れている気もして、瞑想テープかけて横になってみた。
昼10時から1時半まで眠る。


映画を見に行くため、目覚ましをかけておいたが、立ち上がると体が重い。
2日続けて2時間睡眠のツケが突然訪れたようだった。
外出を諦めて、入眠。


夕6時に起きて食事してから、ファミレスへ。
夜12時に豆腐ハンバーグセットを食ったらまた眠気が来て、アイデア出しがまだ進んでいなかったので、2時間弱、テーブルにつっぷして眠る。


馳星周『ダーク・ブルー』読了。
マルチプロットがあまり気持ちよくないのは、主役の3人 - 元警官のヤクザ、悪徳刑事、出世指向の潜在的同性愛の警官 - が3人とも話が進むごとに暴力性が前面に出てくるので、読み進めるにつれてそれぞれの印象が希薄になるからだろう。さらにキャラの違いがエピソードとして語られていても言動に現れていない。
似たようなキャラが別の道を突き進み始める、という逆の展開ならもっと引きがあったろうに。
映像なら役者固有のキャラでその差がもっと出し易いだろうが、脚本段階でキャラ付けしていないと、普通撮ってみても平板になってしまう。
とはいえ、『不夜城』シリーズの完成度を期待し続けるのは高望み。


午前7時帰宅。
今から眠る。
無茶苦茶である。




<引用>
何を感じたのか? また何を考えたのかをみんなにはその場ですべてを吐き出させていく。それがボクのたくらみでもある。
まず自分の考えを述べる。それが人と会った時の礼儀でもある。それと同時に相手の考えを聞く。それがすなわち相互理解につながっていくからだ。
人の考えを聞くことは自分にとってはそれが才能のプラスアルファされていくことなのだ。才能というのはこのようにある部分で他者が与えてくれるものでもあるのだ。
なぜなら才能とは気が付くことでもあるからだ。その気付きは多くの場合、他者とのダイアローグの中で触発されていく。ダイアローグの価値はそこにある。
<中略>
自分の考えをどのように文章にまとめて書くことができるのか? その訓練をやってみる必要がある。なぜならそれが自分を知ることにつながってくるからだ。
自分を知ることは自分の限界と可能性を同時に認識することをさす。その認識を自分のものにいった時、人は初めて噦覚悟器という新しい武器を手に入れることができるのだ。
覚悟というものを持った時、そこに本当の自由が見えてくるのだ。覚悟のない世界に自由なんてないのだ。
そこをボクなんか誤解して欲しくないんだよなあ。自由とは覚悟する決意のことなのだ。
<中略>
そして彼らは常に噦自己原理器にこだわって生きている。その自己原理は組織や社会や世の中と必ず対立していく。
その対立をいかに自分なりに調整していくのか、あるいはそこに挑戦していくのか? 答えはその二つしかないのだ。
それが彼らの悩みでもあるのだ。だったら自己原理をいかにして強化していくしかないではないか? 持って自己原理を鍛えよなのだ。ボクはそれを彼らに言いたいのだ。
自己原理が中途半端だと存在が最後まで宙ぶらりん状態になる。それが今の彼らの実態でもある。