「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」

昔習っていた合気道の師範が、稽古前の訓話で口にした言葉。どこかからの引用だろう。『葉隠』かな?
相手の剣の決死の斬り込みを覚悟して腕で受け、その片腕は失ってしまったが、剣が入ったと思った瞬間の隙に乗じて相手を切り捨て「死合」を制した武士がいた、というエピソードを師範は話した。
重要な何かを捨てる覚悟があればこそ拾える命もある、と。


勝った武士ははたして無くした片腕を悔いたであろうか?
そんなはずはない。
「男の勲章」だったはずだ。
腕がない事を意識する度に、生の充実を味わった…とまで想像するのはロマンチシズムが過ぎるのだろうか。


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無断引用

 基本的には、どんな場所にいても

「今この瞬間」の目の前に自分をどれだけ没入できるかだと思うんですね。
 過去の失敗に思い悩んでも、未来を不安に思っても今、この瞬間の問題を解決する確率は必ず下がります。
 でも今この瞬間の問題をどれだけ解決した実績を持っているかによってしか将来は切り開かれない訳です。
 これは単純な算数だと思います。


 でも多くのカルトは「今ここ」と言って人を洗脳して現実から切り離しますよね。
 だから問題は行動する時には絶対に「今この瞬間」だけに自分を没入させて、過去と未来に思いをはせる時間は別個に用意すべきだと思います。
 その比率は99:1くらいで良いと思うのです。
 計画の時間は1%くらいで充分すぎるほどです。
 そもそも多くの人が計画に時間を1%も使いませんし、また1%の計画をしない人ほど、ことに当たって過去や未来に思い悩みます。


 カルトの問題は、この1%をも奪うことだと思うんですね。
 だから1%の計画と99%の行動。行動量を増やし、行動速度を速くする。
 これしかないと思います。


 喧嘩が始まってから悩む人間は喧嘩に負けます。
 始まってしまったら取りあえずは目の前の相手を倒すしかないわけです。
 倒した後で事情を聞いたり警察に突き出したり、いろいろなことを考えればいいのであって、喧嘩の最中に喧嘩以外のことを考えたら確実に負ける確率が高まるわけです。
 始まったら行動量を増やしていっぱい殴って、いっぱい蹴る。
 行動速度を上げて素早く動いて相手を倒す。
 行動量が少なくても負けます。行動速度が遅くても負けます。


 算数ですもん。           」