心的限界

運動学の用語。
筋肉的には運動可能なのだけれども、心の中にあるイメージで運動が制限されること。
これがあるがゆえに、本来可能なパフォーマンスに到達し得ない。逆にこのイメージを壊す、あるいは塗り替えるとパフォーマンスが向上する。
(なお心的限界が完全とれて筋肉100%の力を出すことはあり得ない。もしそんなことが起ったら、その筋肉はその直後一切使い物にならなくなり生命体に取って危険すぎるから。)
(多分完全に正確な説明ではないが、ご容赦を。)

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引用です。
私の書いたものではありません。
ところどころ略してあります。



「しごき」というのは絶対に必要だと私も思います。
それは暴力のことではありません。
しごきとは、相手の成長を願って目的を持って叱る、ということです。
しごきには相手への愛情と相手の成長への敬意があります。


家庭や学校での厳しさは社会に出たときに味わう厳しさの予行演習ともなります。
世に「練習の掟」というものがあります。
それは、「本番に極力近づけることこそ最高の練習」というものです。
甘い言葉や甘い練習は結局本番での失敗を招き、本人のためになりません。
世の中で厳しさを味わう前に家庭や学校で厳しさを味わってもらうことが、じつはもっとも本人のためになります。


人に甘い言葉ばかりかけるのは同情にほかなりません。
同情とは、相手への愛情も尊敬もない、ただの無関心となんら大差ありません。
必要なことは、共感。
共感とは、相手への愛情と成長や関係への尊敬を包み込んだ、ときに厳しく、ときに優しい、しなやかな言葉と態度。


しごきとは共感にほかなりません。
そこには愛情と敬意があるのですから。               」



Re:


 シゴキは経験者が「あれは無い方が良かった」とは絶対に言いませんもんね。
 ハードトレーニング無しで強くなることはありえないし、潜在能力の発現顕現も基本的には


「万策尽きてから」でないと有り得ないですから。


 潜在能力の発現は既存の能力の延長線上には無いので、シゴキによって万策尽きさせないと無いですもん。
 そして万策尽きるまで自主練習で自分を追い込める人間など全人口の0.001%もいないでしょう。


 全人口の一握りしか自主的には到達しない領域へ他人が追い込んでくれるのですから有り難いものです。
 ただし準備ができていない人間は、そもそも飛び込まない方が良いでしょうね。
 だけど全国大会出場の常連校でシゴキに文句を言う奴はバカですよね。
 それなら入部するな!って話ですから。


 従来の能力だけでどうやって人並み外れた結果を出すのか論理的に破綻した妄想を望むな!って話ですもん。     」



Re:


自分が傷つかないための優しさは、
優しさでもなんでもないですね。                     」



Re:


シゴキは本当に愛情表現ですよね。
自分自身が頑張るといっても無意識のうちにリミッターを付けてしまいがちですが、周りはそのリミッターを見逃さないから極限まで追い込んでくれますよね。
おっしゃるとおり「万策尽きてから」が自分の能力が開花する瞬間ですね。
リミッターが完全に外れる瞬間ですね。


甘い言葉や甘い躾は、リミッターを本人よりも甘く設定させる愚挙であり、人の可能性を冒涜していますよね。
ただいまそんな教育現場と闘っております。


「Sさんは言葉がきつすぎる」とか「そんなに子供たちは追い込んだら子供たちの自由がなくなる」とか先生たちに言われることがあります。
そこでは一言。
「言葉はたしかにきついですね。 でも、子供たちは静かに、そして真剣に聴いてくれていますよ。
頼んでいないのに感想文を送ってくれます。
子供たちが甘い言葉やかりそめの自由よりも厳しさを臨んでいる証拠ではないのですか?」。。。            」



Re:


自分もリスクがあるからこそ、しごきは真剣になれますね。
ただの暴力との決定的な違いは愛情と敬意とそしてわが身のリスク。
私も日々師匠たちにしごかれております。^^ 」

                                                                    • -

連日の仕事で処理能力が上がっている。
とくに今やらなくても良いことを見切る決断力。
先を見越して効率を考えてやってるつもりで、後に考えても十分間に合うことまでエネルギーを使っていたと気付く。
暇人が忙しい振りして、自分で気を散らしていた。