この映画についてはいろいろ考えたのだが、それを発表するのは控えておく。
重要なのは実践です。

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とある心理学の自主勉強会参加。
仕事断って参加した甲斐あり。

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「こころの時代」
「女の時代」
「愛の時代」
「国際協調の時代」
「不安定な時代」
「肩書きでなく、実力の時代」…
本気でそうで「ない」時代があったと思っているのだろうか?
こういうのが流通しているのを聞くと、言葉について、あるいは言葉と自己と世界との関係について、習慣化していて実質を吟味していない人が多いと分かる。

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なぜ晒し首って無くなったのだろう?確か経緯は、近代国家としての体裁を気にした明治政府が野蛮国と西洋に認識されるのを嫌って廃止したのだ。
激情犯や情状酌量の余地のある場合は別にして、反社会性の高い部類の犯罪者を晒し物にすることは抑止効果は大きいから、復活すべきではないか。
アメリカ映画にあるような、被害者の遺族なども含めて、死刑への参加も行われても良いと思う。