国語を教えてほしい、という依頼は昔から多いのだが、その度に頭を抱える。
「受験国語」なら全く問題がなく教えられる。正解へのアプローチとして明確な道筋が存在する。よほどひねた試験でない限り、大学受験の中位レベルまでの現代文で自力で90%以上得点できるし、なぜそれが正解となるかを人に説明することも出来る。(センター試験以上になると、主に問題に使われる概念や用語の難しさのせいなのだが、誤答が増える。解説が手に余ることもありえる。)
しかしことが広い意味での「国語力」となると…「自分より知性の高い相手とのコミュニケーション」と「読書」という手垢のついた処方箋しか書けない。そしてこのどちらも、成果を実感するのに時間と労力がかかる。逆にその時間と労力を苦痛と感じない人は、自然に国語力を伸ばすことになるのだが。


…といった説明なんだか言い訳なんだかを、依頼される度にしてきたのだが、ここ最近長期でお付き合いしているクライアントの方から改めて、「国語力」アップで依頼が重なるということがあった。しかし、本屋の棚を見ても自分が目を開かれるような方法論には出会えなかった。そこで数ヶ月だらだらと、「なんとなく」方策を探し求めていた。
で、「なんとなく」道筋が見えてきた。「論理」と「表現技法」をそれぞれに鍛えるのが最初の両輪。その次にくるのが「構成」。「構成」は「論理」に含めても良いのだが、困難は分割せよ(byデカルト)、とくに苦手な事をやらせる場合には、と。
なぜこのように分割出来るかは僕の経験則でしかないが、今後実地の運用で結果を見てみる。


「論理」「表現技法」「構成」、どれも自分への再教育としての意義もある。
とても言語力が高いとはいえない人間でございます。それで人様に教えを垂れてよいのかと忸怩たるものはあるのだが、一方で、「天才」「秀才」には教えられぬ、「凡人」あるいは「無能」からスタートするがゆえの経験とノウハウというものが存在するのも確かで、そこに賭けてみることにする。