先日書いた、文学者が文学主義でよろしくないという、西部邁先生のおっしゃる問題についての補足。



両氏(江藤淳大江健三郎)に溝が生じたのは、そういう(若い世代の)代表者としての声と私的な肉声、いいかえれば公人としての声と私人としての声に亀裂と乖離が生じはじめたときからである。<中略>

こういうとき文学者は「私」を選ぶべきであり、それが文学者の文学者たるゆえんではないか、というのはたやすい。しかし、とくに戦後において、文学者が「公人」としての地位を高め、「公」的に生き、「公」的に死ぬほかなくなった今日では、それはけっしてたやすいことではない。この公人と私人の矛盾が矛盾として強く意識されるにいたったとき、文学者はどうすべきだろうか。大江氏がとったのは、たぶん、評論家としては「公」的にふるまい、小説としては「私」的にふるまうというやり方である。しかし、そういう器用な分離が同じ言葉の領域においてできるわけがないので、評論に感じる空洞を小説で埋め、小説に感じる欠如を評論で埋めるというやり方のなかには、かえって厄介な自己欺瞞が腫瘍のようにひろがってきたといわねばならない。
                                        」
(『二人の先行者 ー 江藤・大江論争について』柄谷行人、()内はF−Iが補足)


先日引用した部分の出典はまだ分からないのだが、そこで小林秀雄がいっているのは、「公」に出会って「私」的に一度「死なねばならぬ」ということだろうと推測する。そして「公」に取り込まれて「私」を失って社会的存在のみに陥ることなく、「私」にとって返すか、「私」を恢復するかしたときに文学者になれる、と。
「死なねばならぬ」という比喩が何を意味するかは、感覚では分かっているつもりだが、言葉にするにはもう少し考えたい。
古代の中国では歴史や社会に関する文章を「大説」といい、それに対して「小説」という言葉があるという。「大」「小」の語感どおりで、「小説」は蔑称らしい。


余談だが、引用していて、柄谷さんって漢字で表記できる言葉もずいぶん平仮名にひらいていると気付いた。
あまり多くを読んでおらず漠とした印象なのだが、この人だけは左翼でも別格で、この人の仲間たちや読者たちは普通の左翼である。