『機動戦士ガンダム0080 WAR IN THE POCKET (OV) 2話〜6話』89 監督・高山文彦 脚本・山賀博之

アマゾン始めいくつかの評価サイトを見ると「ガンダムシリーズの最高傑作」と言う人もいて評価は高い。
心躍る冒険談として前半の主軸となっているのが、主人公の小学生が戦争への憧れからジオン軍の作戦の片棒を担ぐエピソード。作戦は、実は中立国である自分の暮らす地域を巻き込み、結果として住民数百人が死ぬ「テロ」である。しかし、目の前で殺傷が展開されたにも関わらず主人公が自分の行為の犯罪性に気付くことはなく、罪悪感も持たない。一方最終巻では、仲の良い知り合い二人が敵同士として殺し合っていたことに衝撃を受け、「戦争の悲惨」に気付く。
こういうのは矛盾を感じてしまった方が損なのかもしれない。


アニメの戦争にリアルな(善悪二元論でない)世界観を持ち込んだ、といわれるガンダムだが、すぐに殺される人間はそれ用の印象の薄い顔をしていて、背景となるだけで痛みを伴わない戦闘(=死)やカタルシス(快感)たっぷりの戦闘が出てくる。この89年のシリーズのみの話でなく、僕が80年にいわゆる「ファーストガンダム」を初めて見た時も感じた違和感だった。
それ以前のアニメを考えれば世界観の斬新さや構築性は革新的だが、相対的に少し現実的なだけで現実の何かを学ぶことは出来ない。良くも悪くも子供用、オタク用。
「適度に」リアリティを濃くしたせいでマスを掬ったが、実は現実よりはるかに「薄い」その世界に年長者の精神まで留め置く契機を作ってしまっている。富野由悠紀氏のインタビューを読むとそのあたり自覚的で、元々が文学や政治運動をやっていたシブい人だったそうで、ずっとジレンマを抱えて生きているように見える。


などと書きながら、俺もすっかり年を取った…と。
昔はこういうこと意識しつつも結構入り込めたんだけどね。
それでも6巻一気に見続けたのは、前記した主人公が別々に知り合った二人(男女で、恋愛の兆しまでみえる)がともにパイロットで敵同士として殺し合うところ、中立国での交戦国相互の秘密作戦に平和ボケした主人公が巻き込まれるところ、などなど優れた設定に引きつけられたからだな。


KIRINのFREEを飲んだところ、頭がボーッとし、顔が上気している。
0.00の後の小数第3位に数字があって、アルコールが含まれているということか?