「私はあなたの少年の日の心の中にいた、青春の幻影」

呑み会でその感動をふと口にしてしまい、家に帰ってラストシーンを検索。

20代で一回だけ観ただろうか?10代が最後だとすると二十数年ぶりとなる。ボロボロ泣いた。
wikiによると声優の二人も泣きながら演じたらしい。


ただ、上のサイトはハイキーで画質が荒いので、細部のチェックは下のコチラで。
去り行くメーテルの慈母のようなかすかな微笑、鉄郎のぽろぽろと落ちる涙…はっきり見えます。
もっとも、こちらのサイトの方は、音楽が入って以後のセリフとNがカットされています。取り込んだサウンドトラックの音質が気に入らず、音楽だけかぶせ直したのでしょう。
また、上下が若干トリミングされています。(上の映像の方が公開時の画角。)


「私はあなたの思い出の中にだけいる女。私はあなたの少年の日の心の中にいた、青春の幻影」
こんなセリフ、生身の人間に言わせられるだろうか?ふつう大笑いだろう。
アニメが実写より優れているところは、世界が抽象的だからこういう象徴を明からさまに説明するようなセリフもハマりうるということだな。


リリシズムと単純さが同居したセリフといい、カット割りといい、音楽といい、美点をいくらでも挙げられて一見完璧という他ないワンシーンなのだが、驚くべき発見があった。
999に乗って去っていくメーテルと追う鉄郎が最後の最後に離れてしまうところの切り返しで、メーテル側・鉄郎側それぞれ3回ずつ全く同じカットが使い回されている。
事情を推察するに、編集してみて二人の別れの瞬間としてはあっさりし過ぎていると製作者たちが気付いたのだけれど、何らかの理由(封切りが迫って時間の余裕がない、あるいは同じ色調のセル画を作ることが出来ない、等)で、同一カットを反復するという選択をしたのだろう。


確かこの作品は映画賞を何も受賞していないんじゃないだろうか。
アニメへの偏見が去るのは『風の谷のナウシカ』からだから、ひとえに時代のせい。


さらば宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』、ブルース・リーの諸作品、角川映画の初期作品、
これらを2年程の間に立て続けに観たことで私の人生は規定され、今に至ります。