『二百三高地』80 舛田利雄

反戦イデオロギーを超えて、戦争を叙事的な悲劇として描いている。その事に気付かずに己の左右のイデオロギーのフィルター越しに見ると、作品の中立性ゆえに敵方のイデオロギーに奉仕する作品に見えるだろう。80年代に論争となった舛田利雄監督、笠原和夫脚本の一連の戦争映画を巡る論争とはそのような誤解ではないか。
もっとも『二百三高地』は一般の観客を意識して安直な情感が紛れ込むため叙事性は十分に伝わらない。戦争アクション映画に必要な距離感の演出が欠けてもいる。
乃木を演じる仲代達矢の常に憂いを含んだ微かな演技、恋人との別れで情感がレッドゾーンにいって台詞にならない夏目雅子、リラックスした演技で一人で画面を活性化する新沼謙治舛田利雄は演技の演出はしない人のようで、それゆえにむしろ役者個人が突出する時がある。