一瞬、再結成「へ」というニュースかと…

F-I2011-04-20

布袋のブログ4/20『BOΦWY』 - http://www.hotei.com/blog/2011/04/bowy.html
布袋も氷室もさっぱりフォローしていない。Yahooにリンクされたとあるニュースサイトの微妙な記述に期待感を持って、このブログを初めて見に行った。
震災後再結成のプランがあり、しかも布袋がそれを「望んでいた」(!)
しかし、叶わなかった。
でその結果として、氷室一人が6/11東京ドームでBOΦWY曲のみのライブを行うことになった…という流れが読み取れる。


さらに別のニュースサイトを見ると、松井が「声をかけてもらいたかった」と発言している。
プロジェクトが氷室-布袋の二人の同意から始まるのは当然だろう。
松井まで相談がいっていないということは、その最初の交渉でポシャったと理解するしかない。
そして、布袋が望んでいたならば断ったのは…氷室以外にないと言う事になる。このブログは暗にそういう事情を公にしていることになる。
まあ、詳しくはないが音楽業界には相互の契約や周辺スタッフというよんどころない事情があり、震災後に交渉を初めたのでは6月に間に合わせて調整するということが不可能だったのかもしれない。あるいは布袋はそこをクリア出来なかった無念さを主張したいのかも。
しかし、前者の可能性の方が高いが。


今再結成しても「昔の名前で出ています」で終わりそうな不安はある。今だにiPodで回している曲どもを本人達に懐メロみたいに歌われるとしたら、哀しいことこの上ない。
しかし、矛盾するようだが、再結成なら行かずにはおれない。ほんの一曲か、あるいは一瞬でも良い、あの強烈にエネルギーを発する化学反応のような瞬間が目に出来る可能性を考えると、居ても立っても居られない。


ちなみに僕は『LAST GIGS』の2ヶ月後に上京…クーッ。*1
ライブに行けなかったミュージシャンの中では最大の悔恨。



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○推論を4つのモデルに分けてみる。


A 前提が正しい→推論過程が正しい
B 前提が正しい→推論過程が間違い
C 前提が間違い→推論過程が正しい
D 前提が間違い→推論過程が間違い


このうち正しい結論が出るのは、普通に考えればAのみである。
ただし人間には完全情報が入手出来ないので、「前提が正しい」というのも部分情報が作る前提の正しさでしかない。
だから「認識され損なった事象」の影響で、Aでも間違うことはある。
逆にB,C,Dは、同じく「認識され損なった事象」のせいでたまたま出来事の結果が推論の結果と重なり、逆転して正解になることがある。


しかし、だから推論には意味は無いというのはシニカルに過ぎる。前提が不確実だからといって、A~Dの価値が全て同等とはいえない。Aが正しくなる可能性は高い。
どれだけ前提に完全性を追求してもそれは完全性に漸近的に近づくだけだし、推論が必要な事のほとんどは(学問上の理論は比較的余裕があるが、現実的な決定は比較的厳しく)結論を出すまでの時間の制約が存在するのでその追求もどこかで諦めざるを得ない。
ゆえに人間に出来ることは
1、正しい前提を「可能な限りにおいて」集めること
だし、
2、推論過程を正しくすること
である。
まず間違いなく、ギリシアローマの時代の論理学で述べられていることだろう。
ただこのモデルで考えると分かり易くなるのは、前提が論争されていて確定的でない(英語で言うcontroversialな)状況下において、ただ推論過程で正しいものだけを選べば、A,Cの2択に候補を絞れて誤った推論であるB,Dを排除出来るということだ。
推論過程の精査は情報の精査よりは遥かに容易であるから、正しさの判断に即効性がある。


ともあれ、どこまでいっても正解への「可能性」に留まるのが人間世界の哀しさ也。

*1:はたと気がついた。解散が87年だからBOΦWYって完全に昭和のバンドなのだ。