『火垂るの墓』88 高畑勲

大人は誰も助けてくれない。
妹の死を兄が看取る。兄の死は誰にも看取られない。ということはこの兄妹の死が二人共に誰にも看取られなかったのと同じだ。
この兄妹の悲惨を記憶し追憶する人は誰もいない。戦争によくある悲惨として、戦災の悲惨総体として偲ばれようとも、個人としては記憶されていない。


そういう個人はほぼ存在しなかったということになりはしまいか?
この映画が好きなのは「誰も覚えていない人」「存在しないことになった人」を描いているからだ。
戦争というモチーフは、その徹底した孤独を引き出すために存在している。


「存在しないことになった人」を描く媒体として映画は向いている気がする。