’Living is easy with eyes close, misunderstanding all you see’

「目をつむりながら生きていくのは容易い
見たもの全てを誤解しつづけながら」
(from 'Strawberryfields Forever' by Lennon/McCartney)


サブカルやら思想系の雑誌を多く揃えているのがウリの喫茶店に入り、とある雑誌を手に取ってみた。執筆者の名前やテーマから左翼系であることは分かっていたが、拾い読みした記事の内容がことごとく自らを批評者として超越的な位置に置いて、「右」や現代の事件全般を自分とは切り離された営みと捉えていることに吐気がした。
始末が悪いのは、彼らは批評対象の側が彼ら自身より現実と関わっていることを良く知り認めているのだ。
一方で、といえばよいのか、だからこそ、というべきか、彼らは自分がそののっぴらきならない現実とは距離をとれると思っており(あるいは距離を措定した用語に慣れ過ぎており)、自分の批評言語が実効性を持っていないことに気付かなかったり、実効性が無い事に開き直ったりしている。
現実を変える物はなく、抽象的な論理の戯れがあるだけ。
ただし、戯れ=遊びとしての商品価値があり、知的な意義があるかのように錯覚され、流通し続けているのだろう。
実体の伴わない論理に踊る人々。