「反射してください」by 溝口健二

溝口健二が演出でいつも使っていた言葉。「使っていた」、というか、NGを出され続けた女優がどう演じたら良いか分からないと泣きだしても、この一言以外は言わなかったという伝説まであり、溝口の演出法「そのもの」と言っても良いだろう。
想像だが、学歴の無い溝口がインテリの演劇人あたりと話をしている時に、いずれかの外国語において英語の「リアクション」にあたる言葉とその概念を聞かされ、直訳して使っていたのではないか。


役者の演技が成立していないとき、その問題の多くは、相手の演技が出しているものを受け取れていないことに起因している。ダメな演技に対してはつい、具体的にああしろこうしろと言いたくなるが、与えられる指示はしばしば、役者を観念の木偶にしてしまう。
それよりも
「相手役を見ろ、聞け。(それに対して「リアクション」しろ。)」
が良いのかもしれない。
ああしろこうしろという指示は、人を内省に向かわせる。とくに、経験の乏しい下手な役者が内省しても出てくるものはたかがしれている。
演技に限らず一般論としても、悩み始めた人間は悩んでいる陰気な自分ばかり気になり観察し続けて、スパイラル状に陰にこもっていく。創作に正のエネルギーが加わらなくなる。
「反射しろ」は、意識を外向させる。それ以外の何も要求しない。今日このことを考えていて、相手役の演技が上手くいっていない時には効果がないかもな、と思い到った瞬間に、すぐに考え直した。少なくとも、相手の下手さが与える気持ち悪さを通して、上手く行かずに宙に浮いている「脚本」に気付くではないか。脚本に意識を「外向」させることが出来る。


僕は今「問題の多く(は〜に起因している)」と書いた。
溝口の演出法は一般的には、過剰に役者を追い詰めて反発のエネルギーを利用するものと理解されているだろう。実際そういう方法論が成功を収めることもあるだろう。しかし、こと溝口に関してはその説明は間違っているのではないか。
溝口は「反射」こそが演技の「問題の全て」だと考えていたのではないか。それゆえにこそ、この一語であらゆる演技の演出を行ったのだ。


◯「できることから始めよう」アンソニー・ロビンズ