デパートの屋上、子供の頃は小さな遊園地として好きだったし、大人になってもそのエアポケットのような空間が好き。最近は浸る余裕がない。


人はどこまでいけば人にもの申すことができるのか?
客観的基準は無いから、その資格は自分が自分に許せるかどうかしかない。
そして自分が自分に許せたからといって、人様がそれを許してくれるかはまた別問題。


別にその事に悲観的になっている訳ではない。
人様にもの申すことを許せるような、そのような自分となる努力をせねばならないし、もの申したことの責任は自分で引き受けねばならないし、人様が許してくれない場合は時には謙虚に批判に応え、時にはその相手となんらかの形で闘争せねばならない。
人里離れてひとり自給自足を営むことが最高だという特殊な人を除けば、なにがしかの自分独自の声をあげるしか良き生<せい>は手に入らないのだから、良き生を生きたい者は上記の全てを引き受けねばならない。